百歳の言葉

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年齢など関係ない。人を支えることがあるということ。人それぞれ。そういう意味では、自分の好きな言葉、大切な言葉と言うものは、極めてプライベートな空間に作るものに違いない。






タイトルを修正しようとあれこれ考えていたら結局想定外の恐ろしいものになってしまった。これで長続きはしないだろうから、すぐまた修正することになるかも知れません。

俳句。川柳。普通の散文詩。楽曲の言葉。名言格言。著名人の言葉。小世知や映画の言葉。友人や家族。所謂先生の言葉。

自分で言葉を作るのは面倒だし才能が届かないから、借り物で済ませることばかりだ。

それでは寂しいと思うかもしれない。拙かろうが自分の言葉を文字にすることも大切なことだろう。

あまり構えては窮屈だ。

心に浮かぶものなら何でもいいでしょう。

まあ、借り物の場合は、著作権とかまで出てきて面倒だから、工夫と言うか作法は必要かもしれない。

まあ、自分の言葉の筈なのに、それはどこそこのものと同じだと言われてしまう人もいるから、確かに面倒な世界には違いない。



百歳まで生きる人の話ではない。

明日にも命を失うかも知れない。

人を人でいられるようにするのは、言葉が浮かんでその言葉と対話できることだろうと思う。

浮かぶ言葉が自分の存在証明と主張するものでもない。

言葉には普遍性はない。どの言葉で感動するかは全くの気まぐれ。その刹那が作り出した偶然の産物。それで十分だ。心理学者はもっと理屈を並べるだろうが。



人は死ぬ瞬間まで言葉に支えられている。



そういう言葉を探す目的はない。それでも、何かの拍子に目にして共感するなら記録したいとは思う。

自分を支えてきた言葉を確認することは大事かもしれない。

楽曲はもっと複雑だけど、強いものだろう。

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