『少年法敗れたり!加害者が再び遺族に暴力!神戸連続殺傷事件の元少年A手記出版?』
少年法
神戸連続殺傷事件
絶歌
酒鬼薔薇聖斗
太田出版・岡聡社長
※
相手を思いやる心なんか芽生える訳がない。今度は精神的に遺族をずたずたにしようとしている。金になると思ったのか出版社は犯罪者の言いなりに出版に手を貸している。遺族に確認も取らないで。まったく保護する価値のない少年であり、全く意味のない少年法だ。
今度は金儲けなのか。誰が唆し(そそのかし)たのか。血は変えられない。自分で自分のことだけを考えて犯罪者魂が疼き出したのか。自分の犯罪を材料に使って金儲け?。印税売上全て遺族に返すのか?。話題必死のこの本は売れるだろう。犯罪者に金儲けをさせておいていいのか?。何か間違っているだろう。この手記の中身は被害者のものでもあるはずだ。勝手に、文字にして言い訳がない。既に犯罪を犯しているのではないか。
自分を押さえるのが苦しくなって手記を書いたといっているが苦しくても生きているじゃないか。お前は人の命を奪ってしまったのだ。苦しいのは当然だろう。全く何も更生などしていない。自分が楽になるためには誰かに苦痛を与えることは気にしないのだから。手記を出すのは再び苦痛を与える犯罪行為。問答無用の姿勢は殺人鬼のままではないか。
裁判、やり直せよ!。再審制度は被害者が使ってもいいのではないか。今酒鬼薔薇聖斗を糾弾して何が悪いのだろう。今酒鬼薔薇聖斗の元少年Aは大人として社会に挑戦状を投げたようなものだ。実名公開して下さい。もはや隠匿させる意味は失せているでしょう。
少年法の趣旨なんかとっくの昔にどぶ川に捨てられている。犯罪者は年齢を重ねて巧妙な犯罪を繰り返すだけだ。
一体誰が犯罪少年を擁護しているんだろう。特殊な利権が纏わり付いているのだろうか。
※
http://www.j-cast.com/2015/06/10237465.html?p=all
元「少年A」が「神戸連続殺傷事件」手記を出版 「印税は被害者側に支払うのか」と論議に
2015/6/10 20:15 印刷
神戸連続児童殺傷事件
神戸連続児童殺傷事件を起こした男性(32)が「元少年A」の筆名で手記を出版することが、ネット上で論議になっている。印税を被害者側に支払うのかという疑問も多いが、出版社側は、「意向は聞いていないが、著者が考えるはず」だと説明している。
「1997年6月28日。僕は、僕ではなくなった」。男性が2015年6月11日に出版する手記「絶歌」(太田出版刊)は、こんなフレーズから始まっている。
告白手記が論議に
遺族ら被害者側には事前連絡がなかった
男性は、14歳の中学生だった当時、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗り、神戸市内で小6男児と小4女児を殺害し、ほかに児童3人に重軽傷を負わせた。男児の生首を校門前に置くという異常な事件は、社会に大きな衝撃を与えた。
男性は、「僕ではなくなった」理由として、もはや血の通った「人間」ではなく、少年事件を象徴する「記号」とみなされたからだと説明している。
手記は、294ページにもわたっており、冒頭では、取り調べ当時のことを振り返っている。当初は、負けたくなくて事件への関与を全面否認したが、罪を認めて死刑になりたい思いもあったといい、不意に涙があふれて「僕がやりました」と自供を始めたと明かした。
あこがれた連続猟奇殺人犯たちのように憎まれたかった一方、「人を殺しても何も感じない自分」に耐えられなかったのか、留置所では、夜泣きする毎日だったという。
逮捕の日を境に、それまでの「陽なたの世界」から永久に追放されたとし、「僕の時間は、十四歳で止まったままだ」と告白した。しかし、医療少年院を出て、溶接工などとして働くにつれ、死にたかった思いが一転し、初めて「人間」として生きることのありがたさに気づいたという。この自分の思いを形にしなければ生きていることに意味が見い出せないと思うようになり、遺族ら被害者側には無断で今回の手記を出すことになった。このことについて、被害者側に謝罪しながらも、「どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟」だとしている。
「遺族の気持ちを考えたのか」批判相次ぐ
男性の手記出版について、亡くなった男児の父親(59)は、マスコミへのコメントで、メディアに手記などを出すなと言ったのに無視されたと怒りを露わにし、出版の中止と回収を求めた。男性については、「文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちがない」と非難している。
ネット上でも、手記については論議になっている。
「出版することは意義がある」「いつか本人が語るべきだとは考えていた」と理解する声はあるものの、男性への批判も多い。「芸能人の本みたいな自己陶酔が感じられる」「今も被害者は苦しんでるのに」「本当に更生できてるのか疑問」といった声が上がった。初版が10万部にもなる手記については、印税が被害者側に支払われることになっているのかといった疑問も相次いでいる。
太田出版の編集担当者は、取材に対し、発売についての問い合わせのほか、出版への抗議も来ていることを明らかにした。「どうして今、加害者の本を出すのか」「遺族の気持ちを考えたのか」といったものだという。
被害者側から出版中止と回収を求められたことについては、本人の手紙を添えて手記を遺族に届けることで理解を求めたい考えを示した。事前連絡をしなかったことについては、「遺族の意向にかかわらず、本人に出したい気持ちがあり、弊社でも出版の社会的意義があると考えて、本人との話し合いで決めました」と言う。
印税については、「通常の著者と一緒で、本人に支払います。その意向は聞いていませんが、経済的に遺族に償う責任を感じておられますので、本人が考えるはずだと思います」と説明した。
男性の手記については、出版社間で争奪戦になっていると一部で報じられたが、太田出版からは依頼していないという。男性は2年前から手記を書き始め、紹介者を介して3月上旬に出版したいと言ってきたとしている。
※
この手記は被害者・遺族のプライバシー侵害に当たる可能性が高い。弁護士会、メディアは直ぐに協力して、訴えるべきだろう。拡散する前に。
今回は少年犯罪でないのだから実名公表しても問題ないだろう。兎に角、悪事を直ぐに止めることが必要ではないか。
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少年法
神戸連続殺傷事件
絶歌
酒鬼薔薇聖斗
太田出版・岡聡社長
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相手を思いやる心なんか芽生える訳がない。今度は精神的に遺族をずたずたにしようとしている。金になると思ったのか出版社は犯罪者の言いなりに出版に手を貸している。遺族に確認も取らないで。まったく保護する価値のない少年であり、全く意味のない少年法だ。
今度は金儲けなのか。誰が唆し(そそのかし)たのか。血は変えられない。自分で自分のことだけを考えて犯罪者魂が疼き出したのか。自分の犯罪を材料に使って金儲け?。印税売上全て遺族に返すのか?。話題必死のこの本は売れるだろう。犯罪者に金儲けをさせておいていいのか?。何か間違っているだろう。この手記の中身は被害者のものでもあるはずだ。勝手に、文字にして言い訳がない。既に犯罪を犯しているのではないか。
自分を押さえるのが苦しくなって手記を書いたといっているが苦しくても生きているじゃないか。お前は人の命を奪ってしまったのだ。苦しいのは当然だろう。全く何も更生などしていない。自分が楽になるためには誰かに苦痛を与えることは気にしないのだから。手記を出すのは再び苦痛を与える犯罪行為。問答無用の姿勢は殺人鬼のままではないか。
裁判、やり直せよ!。再審制度は被害者が使ってもいいのではないか。今酒鬼薔薇聖斗を糾弾して何が悪いのだろう。今酒鬼薔薇聖斗の元少年Aは大人として社会に挑戦状を投げたようなものだ。実名公開して下さい。もはや隠匿させる意味は失せているでしょう。
少年法の趣旨なんかとっくの昔にどぶ川に捨てられている。犯罪者は年齢を重ねて巧妙な犯罪を繰り返すだけだ。
一体誰が犯罪少年を擁護しているんだろう。特殊な利権が纏わり付いているのだろうか。
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http://www.j-cast.com/2015/06/10237465.html?p=all
元「少年A」が「神戸連続殺傷事件」手記を出版 「印税は被害者側に支払うのか」と論議に
2015/6/10 20:15 印刷
神戸連続児童殺傷事件
神戸連続児童殺傷事件を起こした男性(32)が「元少年A」の筆名で手記を出版することが、ネット上で論議になっている。印税を被害者側に支払うのかという疑問も多いが、出版社側は、「意向は聞いていないが、著者が考えるはず」だと説明している。
「1997年6月28日。僕は、僕ではなくなった」。男性が2015年6月11日に出版する手記「絶歌」(太田出版刊)は、こんなフレーズから始まっている。
告白手記が論議に
遺族ら被害者側には事前連絡がなかった
男性は、14歳の中学生だった当時、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗り、神戸市内で小6男児と小4女児を殺害し、ほかに児童3人に重軽傷を負わせた。男児の生首を校門前に置くという異常な事件は、社会に大きな衝撃を与えた。
男性は、「僕ではなくなった」理由として、もはや血の通った「人間」ではなく、少年事件を象徴する「記号」とみなされたからだと説明している。
手記は、294ページにもわたっており、冒頭では、取り調べ当時のことを振り返っている。当初は、負けたくなくて事件への関与を全面否認したが、罪を認めて死刑になりたい思いもあったといい、不意に涙があふれて「僕がやりました」と自供を始めたと明かした。
あこがれた連続猟奇殺人犯たちのように憎まれたかった一方、「人を殺しても何も感じない自分」に耐えられなかったのか、留置所では、夜泣きする毎日だったという。
逮捕の日を境に、それまでの「陽なたの世界」から永久に追放されたとし、「僕の時間は、十四歳で止まったままだ」と告白した。しかし、医療少年院を出て、溶接工などとして働くにつれ、死にたかった思いが一転し、初めて「人間」として生きることのありがたさに気づいたという。この自分の思いを形にしなければ生きていることに意味が見い出せないと思うようになり、遺族ら被害者側には無断で今回の手記を出すことになった。このことについて、被害者側に謝罪しながらも、「どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟」だとしている。
「遺族の気持ちを考えたのか」批判相次ぐ
男性の手記出版について、亡くなった男児の父親(59)は、マスコミへのコメントで、メディアに手記などを出すなと言ったのに無視されたと怒りを露わにし、出版の中止と回収を求めた。男性については、「文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちがない」と非難している。
ネット上でも、手記については論議になっている。
「出版することは意義がある」「いつか本人が語るべきだとは考えていた」と理解する声はあるものの、男性への批判も多い。「芸能人の本みたいな自己陶酔が感じられる」「今も被害者は苦しんでるのに」「本当に更生できてるのか疑問」といった声が上がった。初版が10万部にもなる手記については、印税が被害者側に支払われることになっているのかといった疑問も相次いでいる。
太田出版の編集担当者は、取材に対し、発売についての問い合わせのほか、出版への抗議も来ていることを明らかにした。「どうして今、加害者の本を出すのか」「遺族の気持ちを考えたのか」といったものだという。
被害者側から出版中止と回収を求められたことについては、本人の手紙を添えて手記を遺族に届けることで理解を求めたい考えを示した。事前連絡をしなかったことについては、「遺族の意向にかかわらず、本人に出したい気持ちがあり、弊社でも出版の社会的意義があると考えて、本人との話し合いで決めました」と言う。
印税については、「通常の著者と一緒で、本人に支払います。その意向は聞いていませんが、経済的に遺族に償う責任を感じておられますので、本人が考えるはずだと思います」と説明した。
男性の手記については、出版社間で争奪戦になっていると一部で報じられたが、太田出版からは依頼していないという。男性は2年前から手記を書き始め、紹介者を介して3月上旬に出版したいと言ってきたとしている。
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この手記は被害者・遺族のプライバシー侵害に当たる可能性が高い。弁護士会、メディアは直ぐに協力して、訴えるべきだろう。拡散する前に。
今回は少年犯罪でないのだから実名公表しても問題ないだろう。兎に角、悪事を直ぐに止めることが必要ではないか。
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